最近のお葬式事情

先月久しぶりに実家に帰った。実家までは車で片道1時間の距離。けっして遠いわけじゃないけど、用件がないとなかなか億劫で行く気が起きない。
先月帰ったわけは祖父の三十三回忌だったからで、実家の両親と叔父叔母と姉とでこじんまりと法要を営んだ。
もちろん、菩提寺の住職もきて、仏壇の前でお経をあげて、三十三回忌の法要を、それらしく演出したのだけど。
「演出」というのはちょっと不謹慎だけど、これで僧侶のお経がなければ、ただの食事会というか、飲み会なわけで、意味のわからないお経でもそれなりにありがたく感じたのでした。ちなみに、良い葬儀社選びなら葬儀社・斎場の選び方が参考になります。

聞くところによると、最近の葬儀は故人の遺志で、けっこう自由な形態で行われることが多くなってるらしく、無宗教式で、僧侶を呼ばずに(当然お経もなしで)故人の好きだった音楽を流したり、棺の近くでみんなで食事会(宴会?)を開いて故人を偲んだり、今まで思いもよらなかった形式でお別れの儀式が執り行われてるみたいです。
菩提寺の住職が、最近、檀家の葬儀でお経を上げることが減ってきたとぼやいていたのも、あながち葬儀形態の自由化と無縁でないような気がする、と一人で納得していたら、その内心を見透かすように、住職がまったく違う理由を教えてくれた。檀家の若い家族が仕事の関係でこの街を離れて、都会に移り住んで、年老いた両親を自分の近くの施設や病院に呼び寄せて、亡くなった場合は、そのまま火葬場で簡単な式を行って、昔ながらの菩提寺での葬儀は執り行わなくなったというのが理由らしい。確かに、家族が細分化されて、昔のように生まれた土地で家族揃って一生を過ごすという様式がなくなった今、檀家制度そのものが危うくなってるのかもしれない。
やがて、お寺同士のM&Aが当たり前の世の中になるかもしれないな、とまた一人で妄想をはじめると止まらないし、法要の後のお酒を飲む手も止まらない。もう運転するわけにいかないので、お酒の好きだった祖父の写真の前でザコ寝することにしたのでした。

大切な思い出になる写真

先日、実家の自分の部屋を片付けていると去年亡くなった祖父の葬儀の時に撮影した親戚一同の集合写真がでてきました。
なぜ私の部屋にあるのか思わず、母を呼んで2人で笑ってしまいました。
子供のころは意味も解らず葬儀に参加していたから、葬儀の後の写真撮影や宴会など不思議に思う事が多々ありました。そして、どんな表情をして写真に写ればいいのかも謎でした。
しかし、今こうやってふと出てきた写真をみて祖父や当時の事を振り返り思い出話しに花が咲いている事が、この写真の意味なんだと今になって気付きました。たまには祖父を思い出してしみじみした気持ちになるのもいいものです。
その時に母から遺影の話しを聞きました。遺影は亡くなる20年前までのを選ぶのがベストなんだとか。20年前…。だいたい最低でも80歳まで生きるとして60歳の時の写真。父が今年で61歳だからこれからもっとたくさん写真撮らなければ!と密かに意気込んだものの、なんだか無償に複雑な気持ちになりました。父と一緒に過ごせる時間を大切にしようと強く思いました。そして、父の最期を素敵な写真で送り出す事も親孝行だと言い聞かせ納得することにしました。